知財アナリストのひとりごと

特許情報分析・知財戦略をやさしく解説します

遠山の金さん事件 - 時代劇ファン必見の判決文??

 「遠山の金さん事件」というのをご存知

ですか?

 

 東映では、商標登録4700298「遠山の

金さん」という権利を持っているのですが

(「遠山の金さん、二人の遠山桜」、

「ご存じ金さん捕物帳」などというのもあり

ます。)、これを、他の方が、「無効だ、無効

だ!」と無効審判を請求したところ、「請求は

不成立でんねん。」と特許庁に言われて

しまったため、知財高裁に、「なんとかして

おくんなまし。」と訴えた事件なんです。

 

 これは、結果的には、「請求は棄却であー

る。」となり、この商標の権利は今でも継続して

います。

 

 ということで、それでは、今回は、この訴訟に

ついて詳しく解説するのか?というと、この

訴訟については、月刊誌「発明」平成29

6月号に弁理士の方が詳しく解説してお出で

ですので、詳しい解説はそちらを見ていただ

くとして、私のほうでは、この判決文の中身が

非常におもしろいですので、この判決文の

中身をご紹介したいと思います。

 

 この訴訟の論点の一つは、「遠山の金さん」

というのは、「遠山(金四郎)影元」という実在

の人物を表しているや否や、というもので

(争われたのは、他にもあります)、これを、

原告、被告が、いろいろ説明したわけなん

です。

 

 この説明もいろいろ面白いのですが、長く

なってしまいますので、裁判所の判断だけを

引用すると、以下のようになるんです。

(証拠方法等記されていますが、私のほうで、

抜粋編集しています。)

  

  (1) 遠山景元の生存中の経歴,呼称

 遠山景元(通称金四郎)は,江戸時代後期に

江戸町奉行等を歴任した人物であるが、信頼

できる客観的史料が非常に乏しい。

 

 同人の呼称についても,存命中から「遠山の

金さん」と呼ばれていたという文献が存在し、

広辞苑の第二版(昭和44年5月発行)以降

には同旨とも解される記載があるが、いずれも

同じ作者藤田覚の著述であり,しかも,当時

幕臣である大谷木醇堂が景元死後に書いた

とされる遠山景晋「対策則」という文献のみを

根拠とするものであって、存命中に作成された

客観的歴史資料に基づく見解ではない。

 

また,昭和30年5月に発行された初版の広辞

苑には呼称についての記載がなく、昭和30年

当時,歌舞伎や文芸の関係者の間はともかく

として,一般にかかる呼称が普及していたか

どうかは疑問であるといわざるを得ず,そこから

長期間遡った,遠山景元存命中の一般的な

通称が「遠山の金さん」であったと推測する

ことは困難である。

 

以上の検討によれば,遠山景元存命中の呼称が

「遠山の金さん」であったと認めるに足りる

証拠はない。

 

 また,遠山景元は,下情に通じた名奉行であった

との評判についてはある程度信頼できるもので

あるが、同人は若くして家督を継ぎ結婚したという

記述もあり、若年時に放蕩無頼の暮らしをしていた

という逸話については,別人のものであるという

説や不確かな話・作り話という説がある。

 

また,天保の改革を実行した水野忠邦の芝居小屋

移転に反対したという逸話や将軍徳川家慶から

裁判ぶりについて讃辞を送られたという逸話の

真偽はともかくとして、具体的な判官としての

仕事ぶりの逸話は別人のものという説もあるなど,

詳細は必ずしも明らかではない。

 

さらに,江戸時代後期から同人が刺青を入れて

いたという説もあるとはいえ、当時刑罰の対象と

なっている刺青等が実際に彫られていたかどうか

という点は確証がないし、刺青の図柄についても

「女の生首」説と「桜吹雪」説等があり,しかも,

遠山景元が刺青をしていたと述べる旧幕臣

中根香亭自身が両方の説を別の著述で記載した

とされており,定かではない。

 

 (王花陣注:桜吹雪でなかった可能性が

あるって、知ってました?

 

 知らなかったのは、私だけ??)

 

以上のように,遠山景元が,「遠山の金さん」と

して遊び人に扮して町中に出かけて悪事を目撃し,

その後,白州の場面で桜吹雪の刺青を証拠に

悪党を懲らしめたという一連の逸話が,客観的

史実に基づくものであると認めるに足りる証拠は

ない。

 

(王花陣注:ふ~~~む。)

 

  (2) 遠山景元ないし遠山金四郎が登場する

歌舞伎,演劇等の内容

   ア 主として被告以外の制作に係る作品等

    () 歌舞伎,狂言

 明治10年には,「接木根岸礎」,明治23年

には「根岸花遠山桜」との演目で遠山金四郎

主人公とする芝居が上演されたが,当時,遠山

金四郎は刺青をしていなかった。

 

(王花陣注:え~~~、刺青していなかったの

かい。)

 

その後,明治26年に明治座において竹柴其水作

「遠山桜天保日記」との演目で歌舞伎が上演され,

Cが主人公遠山金四郎を演じた際に刺青を見せる

シーンが登場したが,当時は桜吹雪の刺青では

なく,女の生首であった。

 

その後も,大正時代にかけて「敵討護持院ヶ原」,

「遠山桜接橋」,「遠山政談」,「遠山桜」,との

演目で金四郎ないし遠山金四郎が登場する歌舞伎が

演じられた(「天保日記」は,「遠山桜天保日記」の

1つとされているが,遠山金四郎という登場人物は

いないと思料される。)。

 

同時期の狂言「遠山の金さんと鼠小僧」では,

「遠山左衛門尉」との役名の人物が登場した。

 

(王花陣注:お~~、鼠小僧も出て来るん

ですな。)

 

なお,その後,いわゆる遠山政談物は,映画や

テレビの普及等の影響を受け,歌舞伎で演じ

られない時期があったものの,平成20年以降

復活し,現在に至るまで断続的に演じられている。

 

これらの演目では,遊び人に扮した奉行である

遠山金四郎が悪事を目撃した際に桜吹雪の

刺青を見せ,その後白州でもう一度桜吹雪の

刺青を示して,これを証拠に悪党を懲らしめる

という場面がないものもあり,当初からストー

リーが必ずしも確立されていたわけではなかった。

 

    () 映画

大正13年には,松竹,帝国キネマ,マキノ

プロによって,「花の春遠山桜」,「情熱の火」,

といった遠山金四郎を主人公とする映画が上演

された。

 

昭和に入って,日活,河合,帝国キネマ,松竹,

大,新興キネマによって,遠山金四郎を主人公と

する「遠山桜金さん奉行」,「刺青名奉行」,「刺青

奉行」,「金四郎半世紀」,「若様奉行」,「天保

入墨奇談」,「仇討二番原」,「刺青判官」,「染血の

鬼面」,「お江戸春化粧」,「お洒落旗本」,「かごや

判官」,「花の春遠山桜」,「手柄の銀次」,「踊る

百萬両」,「人情百萬両」,「弥次喜多道中記」,

「魔像百萬両」,「千両判官」,「天保江戸桜」,

「江戸錦遠山桜」,「渦巻く浮雲城」,「昨日消えた

男」といった映画が上演されたが,正確な役名は

不明である。このうち,表題に「遠山の金さん」

ないし「遠山」及び「金さん」という文字が入って

いるのは,昭和4年の日活の「遠山桜金さん奉行」

と昭和7年の松竹の「遠山の金さん」のみである。

 

ただし,この当時から,遠山金四郎と思われる

人物が町民に扮して悪党と立ち回った後,

白州の場面で桜吹雪の刺青を見せて悪党を

懲らしめるというストーリーのものがあった

ことがうかがわれる。

 

戦後も,被告以外に,新東宝,松竹,東宝大映

大映京都によって,「大江戸の鬼」,「遊侠の群れ」,

「江戸ッ子判官」,「金さん捕物帖 謎の人形師」,

「怪盗まだら蜘蛛」,「鉄火奉行」,「次男坊判官」,

「男一匹」,「お役者小僧 江戸千両幟」,「怪盗

と判官」,「唄祭り 江戸っ子金さん捕物帳」,「青空

剣法 弁天夜叉」,「遠山の金さん捕物控 影に居た

男」,「伝七捕物帳 髑髏狂女」,「朱桜判官」,「弁天

小僧」,「大暴れ東海道」,「伝七捕物帳 幽霊飛脚」,

「晴れ姿勢揃い 剣侠五人男」といった映画が上演

された。これらも同様のストーリーであったことが

うかがわれる。

 

    () 講談

 講談でも,遠山景元に関するものが演じられた。

 

大正14年12月1日発行の「幕政秘聞/刺青奉行

遠山左衛門には,「・・・流石に遠山の金さんです,

萬延元年六十四を以て病死いたし本郷丸山の本妙

寺にその石碑は今以て残り居ります,花の春遠山

櫻と題した講談これを以て終りといたします。」

との記載があり,演目自体に「遠山の金さん」と

いう表現はないが,この当時から「遠山景元」と

いう登場人物を指して「遠山の金さん」と呼ぶ

ことがあったことがうかがわれる。

 

    () テレビ番組

 テレビ番組としては,日本テレビが昭和32年に

全29回のシリーズものとして「金四郎江戸桜」,

単発ものとして「大江戸人気男遠山の金さん」を

放映したほか,KTV,フジテレビが昭和35年に

「遠山の金さん捕物帳」という全12回のシリ

ーズを,NHKが昭和36年に「講壇ドラマ遠山の

金さん」全4回のシリーズを,日本テレビが昭和

42年に「遠山の金さん」という全11回のシリーズを

放映した。昭和50年以降のTBS,CALの放映

した「江戸を斬る」の第2シリーズ(昭和50年)から

第8シリーズ(平成5年)までには,主役として遠山

金四郎が登場し,平均して視聴率約20%を獲得

した。

 

江戸を斬る」は,松竹の作品であって,被告

自身も制作に協力しているが,被告制作のもの

とは異なり,「遠山金四郎」は「遠山の金さん」とは

呼ばれず,「遠山様」,「金四郎様」,「若様」等と

呼ばれ,また,ナレーションで「遠山桜」という

言葉が出てくるものの,桜吹雪の刺青を悪党の

集合場所や白州で積極的に開陳はしないという

特徴があった。

 

(王花陣注:金さんだけでなく、「江戸を斬る

なども出てきて、ちゃんばらファンの王花陣に

とって、読むのがやめられない判決文ですな。)

 

NHKが平成10年に遠山金四郎が主役ではなく

登場する時代劇として「オトコマエ!」「オトコ

マエ!2」を放映した。

 

    () 演劇,舞台

 舞台でも,昭和32年には「遠山桜江戸ッ子奉行」

という演目が,昭和44年11月には「いれずみ判官

遠山の金さん」という演目が上演されたほか,昭和

50年から被告放映の「遠山の金さん」で主人公を

務めたBが,昭和51年から「遠山の金さん・江戸の

一番星」等の演目を舞台で演じた。

 

それ以外にも松竹制作の「江戸を斬る」シリーズ,

被告放映の「遠山の金さん」シリーズで「遠山金

四郎」役を務めたD,Aが,舞台で公演をしている。

 

(王花陣注:ちゃんばらファンのために、俳優名も

AとかBとかでなく、実名で書いて欲しいところ

ですが、そうはいきませんか?)

 

このうち,「遠山桜江戸ッ子奉行」では,遠山金四

郎は町民として「文吉」を名乗り,「文ちゃん」と

呼ばれているが,ストーリー自体は町民に扮し

ていた判官の遠山金四郎がその後白州の場面

で桜の刺青を証拠に悪党を懲らしめるというもの

であり,白州の幕では,遠山金四郎が自らのこと

を「遠山桜の金さん」と称する場面もある。

 

(王花陣注:文ちゃんと呼ばれていたのは、

トリビアですな。)

 

    () 書籍,漫画

 書籍や漫画でも,遠山景元ないし遠山金四郎

取り上げられた。

 

昭和8年に,長谷川伸が「刺青判官」を連載

したが,これがその後の映画の原作となった。

 

昭和29年9月20日発行の書籍「刺青奉行遠山の

金さん」では「遠山の金さん」が題名に使用され,

桜吹雪の刺青が表紙に描かれている。

 

また,昭和36年11月3日発行の漫画「遠山

金四郎」でも,遠山金四郎が町民から「金さん」と

呼ばれる場面があるほか,桜吹雪の刺青を証拠に

悪党を懲らしめる場面がある。

 

   イ 被告作成による遠山金四郎に関するテレビ

番組等

 

 被告(王花陣注:被告というのは東映のこと

です)は,昭和24年に設立された会社であり,

映画の制作,配給やラジオ・テレビ番組の企画・

制作・販売等を行っている。

 

    () 被告は,昭和25年から昭和40年に

かけて,遠山金四郎を主人公とする「いれずみ

判官 桜花乱舞の巻」,「いれずみ判官 落花

対決の巻」,「女賊と判官」,「お馴染み判官」,

「遠山の金さん 飛びっちょ判官」,「素浪人奉行」,

「血ざくら判官」,「勢ぞろい喧嘩若衆」,「喧嘩

奉行」,「荒獅子判官」,「長脇差奉行」,「海賊

奉行」,「はやぶさ奉行」,「火の玉奉行」,「たつ

まき奉行」,「江戸っ子判官とふりそで小僧」,

「ご存じいれずみ判官」,「さいころ奉行」,

「さくら判官」,「橋蔵のやくざ判官」,「いれずみ

判官」等の題名で公開された劇場用映画を

制作,配給し,テレビ放映用の時代劇ドラマ

番組として,昭和45年から平成19年にかけて,

「遠山の金さん捕物帳」,「ご存知遠山の金さん」,

「遠山の金さん」,「名奉行遠山の金さん」等の

タイトルの下に,合計750話を超える全7

シリーズを制作した。

 

そのうち,A主演に係る「名奉行遠山の金さん」,

「遠山の金さんVS女ねずみ」及び「金さんVS

女ねずみ」は,昭和63年4月21日から平成

10年10月31日までの間に全218話が放映

され,その視聴率は,最高で21.9%,全話

平均で14.0%である。

 

なお,これらの作品のうちの多数のストーリーは,

本来判官であるが遊び人に扮した遠山の金さん

こと遠山金四郎が町中で悪事を目撃した際に

桜吹雪の刺青を見せ,その後,白州で桜吹雪の

刺青を証拠にして白を切る悪党を懲らしめるもの

であったことがうかがわれるが,このような定番の

トーリーは,陣出達朗の時代小説を原作とする,

被告制作に係る昭和30年以降の映画や歴代

テレビシリーズによって,最終的には定着したもの

である。

 

(王花陣注:裁判では事実の認定が重要です

ので、「何で顔を覚えていないのに、刺青を

見せると思い出せるんだ?」という万人共通の

余計な疑問は、取り挟んでいませんね。)

 

() その後,平成17年2月1日から10月18日

までの間,CS放送「東映チャンネル」により,E

主演に係る「いれずみ判官」,「さいころ奉行」及び

「さくら判官」,F主演に係る「いれずみ判官」,

G主演に係る「橋蔵のやくざ判官」,H主演に

係る「遠山の金さん捕物帳」,I主演に係る

「ご存知遠山の金さん」,J主演に係る「ご存じ

金さん捕物帳」,B主演に係る「遠山の金さん

捕物帳」,K主演に係る「遠山の金さん」及び

A主演に係る「名奉行遠山の金さん」が再放送

された。

 

(王花陣注:ついに東映チャンネルまで出てきま

したし、金さんて、いろんな俳優の方が演じて

いたんですね。)

 

その他,昭和50年から平成25年までの間,

多数の地上波放送局及びCS放送局において,

被告の制作に係る映画及びテレビ放映用番組の

再放送が放映された。

 

  (3) 遠山景元に関する史跡,文化財

   遠山景元を描いた「遠山金四郎景元画

像」が,千葉県いすみ市の市指定文化財として

保存されている。

 

(王花陣注:市の指定文化財になっているの

なんて知りませんでした。 判決文のほうが

ウィキより詳しいんじゃないですか?)

 

イ 東京都豊島区巣鴨本妙寺にある遠山景元

墓が,東京都指定旧跡として保存されている。

 

この遠山景元墓には,平成7年に建設された

「下情に通じた江戸時代屈指の名奉行といわれ,

遠山の金さんとして様々な伝説がある」など

と書かれた碑がある。

 

ウ 東京都中央区八重洲の北町奉行所跡には,

昭和43年に建設された「『いれずみ奉行』として

名高い遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)は天保

十一年(一八四〇)三月から三年の間北町奉行

職にあった。」などの碑文の彫られた碑がある。

 

遠山景元の知行地であったといわれる千葉県

いすみ市岬町岩熊地区には,平成4年に建設

された「景元は才幹あり,小普請奉行・作事奉行・

勘定奉行・北町奉行大目付南町奉行を歴任

して世に名奉行として知られる。

 

特に天保の改革に際し,事績あがる。」との碑文の

彫られた碑がある。

 

オ 東京都墨田区菊川の「遠山金四郎屋敷跡」

付近には,遠山景元の説明板・石碑が建てられ

ている。

 

平成19年に作成された説明板には「・・・遠山

左衛門尉景元です。通称は金四郎。時代劇で

おなじみの江戸町奉行です。」との記載が

ある。この石碑は,都営新宿線菊川駅スタンプ

の図柄にも使用され,「遠山金四郎」の文字と

奉行をうかがわせる御用の文字の入った提灯,

十手とともに用いられている。

 

(王花陣注:これでもかというぐらい事実を

認定していますが、これらの認定は必要だった

んでしょうかね? もしかして裁判官の方が

時代劇ファンで、いろいろ楽しく書きまくった

のでしょうか?

・・・きっと違うと思います・・・。)

 

   カ 各地の地方公共団体観光協会等は,

インターネット上で遠山金四郎に関する名所を

観光スポットとして紹介し,地域振興を図って

いる。

 

すなわち,東京都豊島区等は,「遠山金四郎」の

名称を利用して遠山景元墓を紹介しているが,

うち,「東京都立染井霊園MAP」(2010年4月

(第2版)発行)で「本妙寺」に係る紹介文として,

「ご存知,桜吹雪の金さん\遠山金四郎景元

\江戸時代の旗本。江戸町奉行を勤めた。

小説・ドラマの『遠山の金さん』などでその名を

知られる。」との記載がある。

 

キ 「巣鴨地蔵通り商店街振興組合」に係る

巣鴨散策周辺の名所探訪」のウェブサイトに,

巣鴨周辺マップ」上に「遠山の金さんの墓」と

いう表示がある。

 

ク 東京都墨田区等は,「遠山金四郎」の名称を

利用して遠山景元の屋敷跡を紹介しているが,

公式ウェブサイト「すみだ」に係る「すみだ散策

ツアー」のうちの「本所・両国・錦糸町コース」の

見出しの下,「長谷川平蔵住居跡,遠山金四郎

住居跡(歩く時間の目安:10分以上)」に係る

紹介文において,「そして,その同じ場所に40年後,

ドラマや芝居でお馴染みの『遠山の金さん』こと

『北町奉行遠山金四郎』も屋敷を構えました・・・

背中の桜吹雪の刺青はフィクションのようですが,

彼もまた有能な役人だったということです。」との

記載が,「江戸東京商店街・買物独案内 舟めぐり

まち歩き」のウェブサイトでも(鬼平長谷川平蔵

役宅跡につき,「遠山の金さんこと,遠山金四郎

下屋敷になりました。」との記載がある。

 

(王花陣注:ついに鬼平が出てきましたね。剣客

商売は出て来ないんでしょうか?)

 

ケ 東京都港区は,「港区産業・地域振興支援部

産業振興課」に係る「MINATOあらかると」の

ウェブサイトに,「港区江戸古地図めぐり」の見出

しの下,「『遠山の金さん』の屋敷を求めて」として,

「◆遠山金四郎屋敷跡(第2東洋海事ビル)◆」を

紹介しているが,この中に,「このあたりに遠山

左衛門尉(さえもんのじょう)こと金四郎景元の

屋敷があったとか。テレビドラマや映画でお馴

染みの名奉行『遠山の金さん』は,背中の『桜吹雪

(遠山桜)』で有名ですが,実在の金四郎も若い

ときに放埒し,彫り物を入れていたと伝えられて

います。」との記載がある。

 

特定非営利活動法人東京中央ネットは,

中央区のまちづくり」のウェブサイトに,「八重洲

界隈」の見出しの下,「名奉行 遠山の金さん

(北町奉行所跡)」を紹介しているが,その中に,

「その北町奉行所にはサクラ吹雪の刺青でおなじみ,

遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元が任務に

あたっていました。・・・実際には刺青があったと

いう記録はなく,テレビや映画での作り話のよう

です。」との記載がある

 

(王花陣注:先ほども書きましたが、刺青

なかったのかい!)

 

岐阜県恵那市明智町日本大正村)は,

ウェブサイトに,「旗本領主\遠山家累代の墓所

の見出しの下,「名奉行遠山金さんも合祀され

ていると言われている」,「遠山桜」の各ページで,

「土地の人はこれを『遠山桜』と呼び江戸時代に

名を馳せた江戸町奉行で,時代劇や芝居で

有名な『遠山の金さん』こと遠山金四郎(遠山

左衛門慰景元)の“遠山桜”を偲ぶことができ

ます。」と記載し,「遠山家累代の墓所」及び

「遠山桜」を紹介している。

 

遠山郷観光協会は,「信州遠山郷」の

ウェブサイトに,「遠山の金さんと遠山\遠山

つながりで桜吹雪にあやかろう!遠山金四郎

プロジェクト」の見出しの下,「遠山金四郎景元は,

天保の改革で取り潰されそうになった芝居

小屋を救うなどの功績によって,のちに刺青

姿の名奉行として時代劇のヒーローになり

ました。・・・信州遠山氏の出自が美濃だとすれば,

信州遠山と金さんとの関係が見えてきます。」

と記載し,イベントの情報を紹介している。

 

 (4) 「遠山の金さん」の呼称やイメージの定着に

対する寄与

 

   ア 「遠山の金さん」の呼称の定着の経過

昭和30年に発行された初版の広辞苑には

呼称についての記載はなく,「遠山の金さん」と

いう呼称は,それ以降に一般国民の間で定着

したものと推認される。

 

フリー百科事典Wikipediaの「遠山景元」の

項目では,「テレビドラマ(時代劇)『遠山の

金さん』のモデルとして知られる」と紹介されて

いるが,この記載と,同人の史跡,文化財

紹介したホームページ上の説明は,いずれも,

インターネットの普及以降に作成されたものと

考えられ,比較的最近のものであると推認される。

同人にまつわる碑や説明板も,比較的最近建

設されたものが多いことは上記(3)のとおりである。

したがって,「遠山景元」が「遠山の金さん」と

古くから呼称されていたことを必ずしも裏付ける

ものではない。

 

(王花陣注:ついにウィキも出てきましたね。)

 

フリー百科事典Wikipediaの「遠山の金さん」の

項目には,作品一覧として,「E主演の東映時代

劇シリーズ」では,「いれずみ判官(東映)」,

「血ざくら判官(東映)」,「はやぶさ奉行(東映)」,

「火の玉奉行(東映)」,「たつまき奉行(東映)」

及び「さくら判官(東映)」との表示があり,また,

テレビドラマでは,「遠山の金さん捕物帳(フジ

テレビ)」,「遠山の金さん(日本テレビ)」,「遠山

の金さん捕物帳(NET)(関西地区はMBS)」,

「ご存知遠山の金さん(NET)(関西地区はMBS)」,

「ご存じ金さん捕物帳(NET)(関西地区はMBS)」,

「遠山の金さん(NET→テレビ朝日)(関西地区は

この作品以降ABC)」,「名奉行遠山の金さん

テレビ朝日)」,「遠山の金さん(テレビ朝日

2007年版)」との表示がある。このように,被告

制作以外の作品についても多数挙げられている。

 

もっとも,遠山金四郎に関する歌舞伎,演劇等の

上演の経過は,上記(2)で説示したとおりであって,

昭和45年以降は特に被告作成のテレビの時代

劇の放映期間が長期間にわたっている上に

継続的であり,放映本数も多く,しかも,テレビと

いう大衆娯楽を媒介とするものであり,少なくとも

歌舞伎や演劇等以上に国民への影響を強く

与えるものであったことは否定できない。

 

   イ 被告の寄与

そうすると,「遠山景元」と「遠山の金さん」の呼称が

関連付けられるようになったのは,被告の制作した

テレビドラマや映画単独の成果とは認められないが,

少なくとも,昭和45年以降は被告の制作したテレビ

ドラマや映画の影響が強く,査定時を含めた近時に

おける「遠山の金さん」の呼称の普及やイメージ造り

においてもかなりの程度の貢献をしたものと認められる。

 

(王花陣注:ついに結論に近づいてきましたな。)

 

 ということで、この後、いろいろ結論付けをおこ

なっていますが、しかし、よくも詳しく調べるもん

ですね。

 

 裁判官の方々も、いろんな証拠方法の提出を

受けて、さぞや楽しい仕事だったのでは?

 

 そんなことないですか?

 

 さらに全文を読みたい方は、以下をどうそ。

 

http://www.ip.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/104/084104_hanrei.pdf