知財アナリストのひとりごと

特許情報分析・知財戦略をやさしく解説します

知られざる特許の旅 第1回   専売特許黎明期

 それでは、今回は、むかーし昔の

特許を見て行くことに致しましょう。

 

 まず、日本の特許法って、いつ

できたんだというのを調べてみると、

明治18年(1885年です)に専売特許

条例というのができて、4月18日に

公布されました。

 

 このため、4月18日は、今でも「発明

の日」とされているんです。

 

 この前にも明治4年(1871年)に

専売略規則というのも公布されたの

ですが、規則は作ってはみたものの

運用上の問題も生じ翌年に施行は

中止されました。

 

 このへんの概略は以下の経産省

HPに出ていますのでご参考。

 

http://www.hkd.meti.go.jp/hokig/student/j07/

 

 この中止の理由は、特許法概説という

元特許局(昔の特許庁は、「とうきょう

とっきょきょかきょく」ではなく、特許局と

いいました)の吉藤幸朔先生の超有名な

書籍に詳しく書かれており、抜粋すると

以下のようになります。

 

「明治14年から特許制度の創設に尽した

元総理高橋是清(1854~1936)の談に

よれば、「第一発明だから特許して呉れろ

と言ってみた所が、果してそれが新発明で

あるや否やと云ふことを吟味するのが

甚だ困難である。 

 

 又それを十分吟味することになると、

少くとも50人位の外国人を雇はなければ

ならぬ、又当時は50人位の外国人を

雇ふと悉くそれに通辯通訳官を付けねば

ならぬから、なかなか莫大の経費を要する。

 

 それならどの位の発明があるかと云ふと、

其時分能く例に出ましたのは人力車位の

ものでした」といった事情から専売略規則の

施行を中止することになった(商工政策史

558頁)。」

 

 ということで、実質的に明治18年

から特許法は始まったわけですが、

この明治18年の専売特許条例はどんな

ものだったかというのを見てみましょう。

 

 この条例は1条から28条まであり、

第一条では、「有益ノ事物ヲ発明シテ

之ヲ専売セント欲スル者ハ農商務卿ニ

願出其特許ヲ受クヘシ」と書かれており、

「おめーら、願い出ろよ」という、上から

目線?なわけでして、ここから「出願」

という言葉が出てくるわけですね。

 

 次の第二条では、「専売特許ヲ願出ル

ニハ其願書ニ発明ノ明細書并必要ノ図面ヲ

添フヘシ但時宜ニ依リ其現品又ハ雛形ヲ

差出サシムルコトアルヘシ」となっていて、

当時から明細書が必須で、必要なら

図面を付けるということになっており、

さらに、「よくわかんねーよな」という

場合には、「現品持ってこーい」という

こともできたようです。

 

 じゃあ、どのくらいの年月専売特許に

してもらえるのかというと、「第三条 

専売特許ノ年限ハ専売特許証ノ日附ヨリ

起算シ十五年ヲ超ユルコトヲ得ス」、

及び、「第十七条 専売特許ヲ願出ル者ハ

左ノ免許料ヲ納ムヘシ但願書ヲ却下スル

トキハ之ヲ返付スヘシ

一 五年ノ専売特許ヲ願出ル者 金拾円

二 十年ノ専売特許ヲ願出ル者 金拾五円

三 十五年ノ専売特許ヲ願出ル者 金弐拾円」

となっていて、5年、10年、15年と選択する

ことができたんです。

 

 ちなみに、その当時は会社組織という

概念は希薄でしたので、先ほどの1条に

あるように、出願をする者は発明者と

いう個人でしたので(現在の出願人は、

特許を受ける権利を譲り受けた法人も

認められていますね)、この個人の

10円とか15円、20円というのは当時

どの程度の貨幣価値があったか調べると、

当時の1家3人の平均年収は70円、

4 ~5人で年収120円だったそうです

ので、資産家しか「おねげーしますだ」

とはいかなかったのではないかと思い

ます。

 

 尚、専売特許手続きによると、5条5号

というところに、「明細書には、発明人の

族籍と住所氏名を書け」となっていますが、

専売特許条例6条1項に、「専売特許ヲ願出

ルノ権及専売ノ権ハ相続者ニ伝ハルヘキ

モノトス」となっていて、出願するのは、

発明者だけでなく、相続者からでもよかっ

たのですが、他人には譲渡できなかった

ようです。

 

 また、現在では先願主義(発明が

おんなじだったら、最初に「おねげー

しますだ」とした人が勝ち)ですが、

当時は、「第四条 左ノ諸項ニ触ルヽ

モノハ専売特許ヲ願出ルコトヲ得ス

一 他人ノ既ニ発明シタルモノ但他人

ヨリ譲受ケタルモノハ此限ニアラス」

となっていて、先発明主義を採用して

いたんです。

 

 また、同じ4条の3号、4号では

「治安、風俗、健康ヲ害スヘキモノ、

医薬」は「ダメー」とされていました。

 

 当時から風俗を乱すものはダメだった

んですね。

 

 おもしろいのは、「第十五条 左ノ場合ニ

於テハ専売ノ権ヲ失フ

一 専売特許証ノ日附ヨリ二年ヲ経テ其

発明ヲ実施公行セス又ハ事故ヲ届出スシテ

二年間之ヲ中止シタルトキ

二 専売特許ノ発明品ヲ外国ヨリ輸入シテ

之ヲ販売シタルトキ」となっていて、専売

特許権者自らが、実施しなかったり、

外国からの輸入に頼ったりした場合には、

専売特許が取り上げられてしまうことに

なっていたんです。

 

 その当時国力が弱かったので、この

ようにして産業を保護しようとしたんで

しょう。

 

 侵害の場合はどうかというと、「第二十条 

専売特許ノ発明品ヲ偽造シ若クハ外国ヨリ

輸入シ又ハ専売特許ノ方法ヲ窃用シタル

者ハ一月以上一年以下ノ重禁錮ニ処シ

四円以上四十円以下ノ罰金ヲ附加ス」と

なっていたんです。

 

 そのほかにもいろいろ今と違っていたの

ですが、法律のほうはこれくらいにして、

最初の専売特許を見てみましょう。

 

 まあ、最初の特許といえばいろいろな

ところに出ている、堀田瑞松さんの

「堀田錆止塗料及び其塗法」というもので

明細書の1ページ目は以下のように

なります。

 

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 東京府「平民」というのが時代を表して

いますね。

 

 じゃあ、平民のほかに何があったのか

というと、士族という身分の方からも出願

されていますよ。(そのほかに、身分として

は、皇族や華族、その他いろいろありまし

たが)

 

 ということなのですが、最初の特許

出願は7月1日で、堀田瑞松さんが

第1号という栄誉に輝いているのですが、

実は、同じ日に出願して、同じ日に登録

されている方がいるんです。

 

 ということで、次回は、これらの

スポットが当たらなかった専売特許を

見てみましょう。