知財アナリストのひとりごと

特許情報分析・知財戦略をやさしく解説します

知られざる特許の旅 第5回  明治の初めの専売特許権者は儲かった? それとも・・・・・・ その1

 発明推進協会で出している月刊「発明」

10月号で、工業所有権協力センター専務

理事の櫻井孝さんが、「我が国にも

かつて秘密特許制度があった」という

題で、昔の秘密特許制度について書いて

いますね。

 

 コピペするわけにはいきませんので、

購読している方は、おもしろいので、

是非読んでみてください。

 

 尚、この櫻井さんは特許審査官、部長、

技官などを歴任した方で、「明治の特許

維新~外国特許第1号への挑戦~」などと

いう著書もありますよ。

 

 ということで、私のほうでも、古い

昔の特許の話の第5回で、今回は、技術

詳細を見ていくわけですが、その前に、

初期の頃の専売特許権者は専売特許に

よって儲かったのか?ということと、

果してどのような実施状況だったんだ?

というのを調べてみましょう。

 

 当時の特許局では、明治18年7月に

専売特許条例が実施されてから、20年

6月までに特許を得た特許権者に対し、

「実施状況を報告しろよなー」と義務

付けていたのですが、この調査資料を

見てみることに致しましょう。

 

公文書にみる発明のチカラ : 国立公文書館

 

 この資料の発行日は明治21年12月

12日となっています。

 

 とは言っても、なにしろ、古い資料を

PDFにしたものなので、ところどころ

読めないところがありますが、字が滲

んでしまって読めないところは、私の

ほうで「えいやー」、と推定して書いて

みることにしますので、ご容赦を。

 

 それでは、始めましょう。

 

 まずは、登録番号29番、牧野爲蔵

さんの「改良蝙蝠傘」です。 

 

 この牧野さん、士族となっていますので、

さぞや偉い方で、その当時にこんなことを

書いていたら、我々平民は切り捨て御免、

「ごめんね、ごめんねー」だったかも?

しれませんね。

 

 この発明は、明治18年8月27日に

出願され、9月19日に登録がされましたが、

実施のほうは、明治18年11月に開始され、

明治21年4月までで、売上21ダース

(252本ですね)売上額約500円となって

いますので、1本約2円だったようです。

 

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 どんな発明かと言うと、柄を分離する

ことができるようにしたそうで、さらには、

柄を短縮できるようにして、行李等に

収めることができるようにしたんです。

 

 まあ、今の折り畳み傘の元祖?でしょうか。

 

 残念ながら、溝骨についていろんな問題が

あって、損失が少なくなかったようですよ。

 

 次は、この前ちょっと書いた、櫻井乃介

さんの「改良人力車」というものです。

 

 脱線しますが、この前、人力車の発明者

とされる、和泉要助さんのこともちょっと

書きましたが、明治4年の「専売略規則」の

ときにも、明治18年の「専売特許条例」の

ときにも出願をしたのですが、いずれも

出願時に世に普及していたことを理由に

特許はされませんでした。

 

 ということで、明治4年の「専売略規則」

から、明治18年の「専売特許条例」の間は

どうなっていたのかをちょっと覗いてみま

しょう。

 

  明治4年に「専売略規則」が布告された

後に、明治5年に太政官布告第105号と

いうもので、「新発明品専売免許当分

廃止(明治5年3月29日)」となってしまい

ました。

 

 しかしながら、この中で、「但向後諸物品

新発明致シ候者有之候ハヽ其管轄地方官

ニテ発明品及其工夫ノ手続等詳細取調書

ヲ以テ工部省ヘ可届出事」とされ、「ただし、

今後、新発明をした場合には、管轄地方官

に発明品とかを調べてもらって、その

取調べ書を工部省へ届け出て来ーい」と

されていたんです。

 

 と、そうこうするうちに、明治18年に

なって、新しい「専売特許条例」が出る

わけですが、この附則で、

 

1 明治4年の専売略規則布告以後、

明治18年の専売特許条例布告以前に

発明し、上の明治5年3月第105号布告

で布告したように発明を届け出ていた

者は、その発明が、現在、公に用いられ、

公に知られたものとなっていても、本条例

施行の日(明治18年7月1日ですね)

より6か月間はその専売特許を農商務卿

にお願いすることができますよ。

 

 さらに、

2 この明治18年の専売特許条例布告

以前に、すでに前項の発明を使用した

他人がいたとしても、この条例施行の日から

1年以内だったら、その他人は、その使用

特許を農商務卿にお願い出ることが

できるんです。 この場合には、「専売

特許条例17条に書いてある免許料を

払ってね」

 

 ということで、回避手段が設けられていた

んです。

 

 残念ながら、和泉要助さんの発明は、

この回避手段でもダメだったんですね。

 

 ということで、先ほどの櫻井乃介さんの

「改良人力車」を見てみましょう。

 

 櫻井乃介さんの登録は以下にもトータル

5件が記録されているんですが、この

改良人力車は、登録ナンバー45番、

明治18年9月5日出願、登録10月

23日で、明治18年11月から21年4月

までの実施実績が記録されており、

トータル販売3台で、売上40円と

なっています。

 

 発明は、以下のようになっていて、

車軸にサスペンションを設けて、乗り

心地をよくしていたんです。

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 残念ながら、具合が悪いところがあって、

販路を拡大することができなかった

と書かれています。

 

 この3台は最初に貸し付けをおこなって

どんな具合なのか試していたのですが、

明治19年6月に、車体の問題や、

車夫の営業方法などに問題があって

(雲助タクシー?? 言い方が古い

ですね)、

内務省からお叱りを受けたんです。

 

 さらには、サスペンション見直しの

ために、車体を解体したりなんかした

ために費用がかさみ、販売の見込みが

立たなかったんです。

 

 残念でしたね。