知財アナリストのひとりごと

特許情報分析・知財戦略をやさしく解説します

知られざる特許の旅 第2回   忘れ去られた、特許第2号

 昔、FM東京で、「ジェットストリーム」、

という音楽番組がありましたね。

 

 今でもあるみたいですが。

 

 ミスターロンリーの音楽にのって、城達也

さんのナレーション、「遠い地平が消えて、

~~~、夜のしじまの~~~」というくだり

では、「しじまって何だ?」と思いながら

だらだらと音楽を聞きながら、勉強??を

していたものです。

 

 ということで、あなたにお送りする定期便、

「知られざる特許の旅」、皆様の旅のお供を

するパイロットは、須川王花陣です。

 

 それでは、本日も、始めましょう。

 

 前回の続きで、最初の特許出願日、7月

1日に出願したにもかかわらず、第1号

という栄誉に輝けず、なみだをのんだ

(別に涙は飲んではいないと思いますが)、

同日出願を見てみましょう。

 

 その前に、当時、時系列的にどの程度の

出願があったのかを調べてみましょう。

 

 調べるといっても当時出願公開というのが

なかったので、「出願」それ自体では調べられ

ないのですが、登録されたもので、出願日は

いつか?というのは調べられますので、

こちらで調べてみましょう。

(私の持っている、「特許庁編 工業所有権制度

百年史」という書籍には、出願数も書かれていま

すので、これはそのうち書いてみましょう。)

 

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 ということで、上のグラフは7月に出願が

あったものの登録数で、出願がどの程度

あったか?というのではなく、登録された

ものの出願日はいつか?という観点ですが、

まあ、一番最初をねらって最初の日に

出願が多数された、ご祝儀相場??と

いうのが実情ではないでしょうか。

 

 国立公文書館の「公文書に見る発明の

チカラ」というのを見ると、「明治18年

には425件の特許が申請され、特許を

得たのは99件」となっています。

(と、したり顔?で書いていますが、

田舎者の王花陣のため、この国立

公文書館千代田区北の丸公園

あるそうです)には行ったことがなく、

今度上京して、時間があるときにでも

行ってみることに、致しましょう。

北の丸公園というのも、どこにある

のかわかりませんので、珍道中に

なることでしょう))

  

http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatsumei/contents/21.html

 

 尚、私の調査結果では、「公文書に

見る発明のチカラ」での、正確な表現は、

明治18年には425件の特許が申請され、

明治18年中に特許を得たのは99件である」

が正解です(私の調査では、正確には

100件でしたが)。

 

 私の集計結果では、明治18年出願が登録

された数は、全部で144件でしたので、

登録率は34%というところでした。

 

 まあ、100年以上前の当時としては、

インターネットなどなかったですので、

同じ発明が、すでにあるのかないのか

など、一般の庶民は知らなかったで

しょうから、とにかく何でもかんでも

出願したのかもしれません。

 

 ちなみに特許行政年次報告書2015年版

によれば、2014年の特許査定率は、69.3%

だそうですよ。

 

 話を戻して、このように非常に低い登録率

だったようですので、登録された専売特許と

いうのは、その当時では、エリート??だった

んですね。

 

 当時、人力車の発明者といわれる和泉

要助さん含む3名の方の人力車の発明も

出願されたそうですが、出願時に世に

普及しているとのことで、登録はされな

かったということです。

 

http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/hatsumei/contents/10.html

 

 ただし、改良発明として桜井乃介さんと

いう方から「改良人力車」というものが

出願され、こちらのほうは特許第45号と

して登録されています。

 

 ということで、惜しくも特許第1号になれ

なかった専売特許を見てみましょう。

(原紙は旧字体で書かれていますが、

わかりやすいように、私のほうで、極力

現在の漢字に直しています)

 

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  出願日は明治18年7月1日ですので

表示させていませんが、登録日で上の

10件は明治18年、下の2件は明治19年

なります。

 

 なぜこのように、登録日にばらつきが

出ているのかは、審査が難しかったのか、

何か出願に瑕疵があったのか、など、今と

なっては「藪の中」??ですね。

 

 ということで、高林謙三さんは最初に

3件も出したのですが、残念ながら2番目に

なってしまいました。

 

 この高林謙三さん、登録200番目までを

見ても、もうひとり山本熊五郎さんと並んで

6件と登録数第1位なんです。

(堀田さんは2件です)

 

 この高林謙三さん、埼玉の方なのですが、

ウイキにも出てくる有名な方なんです。

(先ほどの国立公文書館の「公文書に見る発明の

チカラ」にも出ていますね。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%9E%97%E8%AC%99%E4%B8%89

 

 登録200番目までの高林さんの発明は

以下となります。

 

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 どんな発明だったのか貼り付けると

以下のようになり、本格的なものだった

のですが、1番になれず、惜しい!!

 

・ 焙茶器械

 

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・ 改良扇風器械

 

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・ 茶葉揉捻器械

 

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・ 擂潰機(すりつぶし機)

 

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 ということで、次回は、今では

考えられないような規定について、

調べてみましょう。

 

 それではまた。